―――全滅だった。
グンタさんも、エルドさんも死んで
ペトラさんとオルオさんも死んだ。

あんなに信じ合っていた仲間がみんな死んだ。
帰りの馬車でただ運ばれる自分が、思うように身体を動かすことさえ出来ない自分が情けなくて、涙が止まらなかった。
俺はガキだから悲しいときに泣くことが出来る。
あの人は今夜にでも泣くことが出来たのだろうか。

 
真夜中、眠れなくて部屋を訪ねた。一度目に返事がなかったら戻ろうと決めて来たのに、数秒の沈黙の後、返事よりも先に扉が開いた。
同時に月明かりが薄く光る室内から青の瞳が覗く。リヴァイのその眼が最初からエレンを見据えていた事が気になった。
まるで今夜訪ねてくることを知っていたかのように、そこにエレンを縛り付けているような気がして、若干の恐怖を感じた。

「こ、こんな時間にすみません」
「………」
いつもなら罵声のひとつでも飛んでくる筈なのだが、やはり今回の兵団の失態に対して気が立っているのだろうか。リヴァイはエレンを視界に捉えただけでなにも言わない。

「あの、兵長…っ」
「早く入れ。冷える」
リヴァイは薄いブランケットを一枚羽織り、部屋の真ん中のソファで足を組んで座る。起こした言い訳なんざどうでも良いから早く座れ、と言いたげな態度だった。
あんな事があった後だから、慎重に言葉を選べるように様子を窺っていたのだが、エレンはそれ以上の言葉は飲み込むことにした。
今は何を言っても、気休めにすらならないと思ったからだ。

「お邪魔します…」
エレンはおずおずと彼のいるソファまで歩を進め、隣りへ落ち着くとリヴァイの方を向くようにして座った。 追い返されなかったことに心底ほっとして、胸をなで下ろす。

窓を見つめる彼は部屋を明るくする気は無いようで、差し込む月明かりだけがぼんやりとリヴァイの姿をかたどっていた。
今夜はいつもより冷え込んだ訳ではないのだけれど、彼にも意外と寒がりな一面もあったのかとエレンは思った。ブランケットを引き連れて座るリヴァイが少し珍しく思えたからだ。

こんなに傍にいても、何度身体を繋げても、エレンには知らない事がたくさんある。
今だって、何もわからなかった。

「…なんだか眠れなくて、起こしてしまってすみません」
「いや、起きていたから問題はない」
電気が付いていなかったのですっかり起こしてしまったものと思っていたけれど、彼も眠れずにいたのだろうか。
変わらず、端整なリヴァイの横顔を儚げな淡い光が照らしている。

「兵長の顔みたら、少し安心しました」
エレンが眉を下げて薄く笑う。子供みたいだと思っているのだろうか。今の自分は、怖い夢を見て、母親の布団に潜り込んでくるような子供と何ら変わりない。
実際、彼からみた自分が、子供であることに違いは無いのだけれど。

「俺は、お前の顔をみても安心出来ないが」
リヴァイが、静かにそう言った。
エレンの表情がぴたりと凍り付く。
「…そうですよね」
解ってはいたけれど、実際に言われるのはショックなんだと知った。
だけど態度には出さない。そう言われない自分になればいいだけ。
エレンは精一杯返事を絞り出すと共に、苦笑するだけに留めておいた。

「エレンよ」
「は、はい」
「俺は何だと思う?」
突然問いかけられ、エレンは少し考えてから答えを出す。が、結論は変わらなかった。
リヴァイがもしも“何か”だとするならば、その答えは決まっているからだ。

「調査兵団の要であり、最強の兵士長、です…」
「そうだな、それでいい」
ちらりと瞳だけがこちらを向くが、いつもの覇気は感じられなかった。少し翳りをみせた表情が、エレンの心をざわつかせる。

「リヴァイ、兵長、」
何だかこのまま彼が消えてしまいそうで、名前を呼んだ。何故だかわからないけれど、不安がエレンに歩み寄ってくる。
「お前らみたいに喚く奴らを、ただ見ているのが俺の仕事だからな」
リヴァイが床の一点を見つめながら、ぼそりと呟いた。
じっとエレンが見続けた彼は変わらず冷静で、表情の無い横顔だったけれど、その瞳がさっきよりも明確に感情を滲ませているのが伺えた。

「俺は、当たり前の事すら出来ないらしい」
何故ですか、とエレンが聞いた。
「俺が、俺だからだ」
エレンに向き直って、そう告げる。
殺気立った悲しい色の瞳で。

皆、今日の惨劇を悲しんでいた。
仲間の死に絶望し、次に死ぬのは自分なのかと恐怖に怯えている姿を、叫び声を、エレンはずっと見てきた。

そんな最中でもリヴァイは兵士長としての責任を果たし続ける。例え信頼している部下が呆気なく死んだとしても。
例え、愛した“家族”の無惨な死に様を見せつけられようとも。

彼が取り乱せば部下が絶望し、彼が泣き喚けば軍の士気に関わる。それは人類の破滅に等しいのも、エレンは知っている。
彼は悲しくないのではなくて、悲しんではいけないのだ。そう考えた後に、目の前で血をながした彼らを思えばエレンの心臓がぎゅっと握り潰されたように痛くなった。
普通に考えて、仲間想いの彼が班の全滅をなんとも思ってない訳がないのだ。

平気で地に立つこの両脚のなんと強いことか。
エレンはその大きな瞳をわななかせると、目縁いっぱいに水の膜を張った。

「ごめんなさい」
衝動的だった。謝ったのはいきなりだったからじゃない。思わず伸ばしたエレンの両腕がリヴァイの身体をきつく抱き締める。
「――おい…っ!」
リヴァイの肩が一瞬竦んだけれど、こんな時に体格差があって良かったと思った。ブランケットがぱさりと床に落ちる。
彼はきっと寒かったのではなくて、ひとりで暖める術が無かったのだろう。それなら俺が熱を与えるだけだ。
エレンの胸に、ひんやりとした身体が触れる。

「俺はバカだけど、どんな貴方とも、ちゃんと向き合っていたいです」
エレンは必死に抱きしめたその身体を捕まえて放さなかった。
「なんだ、今更…っ」
「ひとりにして、ごめんなさい」
自分の思い上がった選択や、あの時気を失って傍にいれなかったこと。落ち込んで部屋に籠もり、今も自分が不安になったから部屋を訪ねたこと。
涙と一緒に、後悔ばかりが押し寄せる。

「俺はいつも一人だろうが…!」
リヴァイがそう言い放って、エレンの腕の中で身体を押しのけようと反発する。

「俺は貴方が好きです」
何故そう言ったのかわからないけれど、今そう伝えたかった。伝えなければ、このまま壊れそうな気がしたからだった。
「……っ」
言葉に詰まったリヴァイが、つかんでいたエレンの胸元を手放す。

「だから俺と“ふたり”になって」
顔の見えないリヴァイは沈黙したままで、抵抗もしなかった。腕はだらりと下げて、抱きしめ返してもくれなかった。
けど、それでも良かった。リヴァイの首筋に鼻先を押し付けると、彼の匂いがする。清潔にしている石鹸の香りと混ざる、彼の匂いが好きだった。
「どんな貴方でも、ずっと好きです…」
もう一度言い、唇の触れた首筋に軽くキスをした。何度も、何度も、体温を確かめるように。

部屋は薄暗くて輪郭がぼやけている。けれど触れた身体は確かにそこにあった。鼓動を鳴らして生きているからだ。
しばらくそうしていると、エレンが触れている方とは逆の首筋がじんわりと暖かく感じた。
ふと顔を上げると、形のよい頭が見える。
その表情はわからなかったが、リヴァイがエレンの肩に頭を押し付けるようにして、その顔を伏せていた。

「貴方が生きていて、良かった」
エレンが捕まえた背中を撫でるように滑らせる。
過去はもう戻っては来ないが、俺達は過去じゃない。どんな事があろうと生きている限り呼吸は続く。
それなら2人で溶け合いたいと思った。体温と、想いと、この身体も。

そうして静かに彼を抱き締めていると、やがてその暖かさは段々と湿り気を帯びていき、エレンの肩を濡らすように広がっていった。
こんな時くらい弱みを見せて。全部受け止めるから、全て曝け出して。

「…それ嬉しいです、兵長」
普段はじっとして居られないエレンとて空気は読める。リヴァイが何も言わなくても、濡れる肩が返事だと思った。
そっと背中を撫でてみる。エレンにはそんな事しか出来なかったからだ。
これからもリヴァイにのし掛かるであろうその重たい枷を、外してあげられるような自分になれたらいい、とエレンは思う。

抱く肩は静かで、ぴくりとも動かない。
窮屈なソファでずっとそうしていた。気が済むまで体温を分け合えれば、もっと深く彼と繋がれるだろうか。そうだといい。
エレンがそんな事を考えていると、突然腰の辺りを掴まれて片手で胸を押された。予想していなかった状況に焦り、唸るような声がでる。

「―――ぅわ…っ!」
バランスを崩した上半身が揺れて、2人座っていたソファへと倒れ込んだ。ほの暗い部屋の、天井だけがエレンの視界に広がっていく。
「ん、へ、ちょ…っ」
エレンはそのまま訳もわからないうちに彼に口づけられた。リヴァイが触れたその唇へ、乱暴に舌をねじ込みながら深く進む。
そうしてエレンの口内を、しつこく吸うようにして隅々まで弄った。

「なか、あったけぇ」
「んん、…っ」
唇を合わせながらリヴァイが喋る。かかる吐息に背筋がぞくぞくとした。
ソファの肘掛けが柔らかいクッション状で助かった。頭は打たなかったけど、後ろに逃げられない分キスは遠慮なしに深まっていく。
呼吸が上手く出来ずに、ふ、ふ、と小さく口の端から音を漏らすのが精一杯だった。
やがて気が済んだのか、絡ませた舌から惜しむように糸が引かれ、熱くなった唇が離れる。
そこでエレンは初めて彼の顔を伺い知ることとなった。

久しぶりに合わせた瞳に、濡れた痕跡は見えない。ただ、エレンを見つめるリヴァイの瞳は、とても苦しそうな色を揺らめかせていた。
「…っは、へいちょ…」
また少し怯んでしまった。やっぱり一度も見たことの無い表情だったからだ。

エレン、急に名を呼ばれる。
そのまま隙も与えないようにシャツを捲られ、リヴァイの細い指がエレンの発達途中の腹筋を撫でるようにして弄んだ。
「あ、リヴァ…っ!んん、ン!」
再びキスが降ってくる。抵抗の言葉も塞ぐリヴァイの舌は、声と一緒にエレンの唇さえも舐めとっていくのだった。
夜の無音の中、ちゅ、ちゅ、といやらしい音だけ耳に入ってくるのが恥ずかしくてたまらない。

腹筋を辿っていた手のひらが這うように腰を撫でていく。ああ、とエレンは艶やかな声を上げた。
やがてするすると肌を撫でていた指先が、エレンの背中を慈しむようにして上に昇って行き、その身体をぎゅうっときつく抱きしめた。

「へい、ちょ…」
「…お前を最後に殺すのは俺だ。お前を生かし続けるのもこの俺だ」
そう耳元で低い声が囁く。かかる熱い吐息に、言い知れぬほどの疼きがエレンの全身を駆け抜けた。

「お前を喜ばせるのも、泣かせるのも、全部俺が…、やってやる」
「兵長、どうしたんですか…?」
リヴァイの指先に力がこもり、抱きしめる力が一層強くなる。それに答えるようにしてエレンがリヴァイの背中に腕を回すと、今までで一番、近くに居るような気がした。

数え切れない程の仲間が戦死している中で、ずっと彼は1人で居たのだろうか。
悲しみを誰にも打ち明けられぬまま、身体を震わせて泣いていたのだろうか。
ぴったりと触れ合った身体が心地良くて、本当に境目から溶けてしまいそうだった。

「エレンよ」
「はい、なんですか」

「お前が今、暖かくて、良かった」
リヴァイが耳朶を甘噛みするようにそう囁き、背中の手がエレンの髪の毛をさらりと梳かすように撫でた。

「──っっ、」
恥ずかしい、嬉しい、色んな気持ちが爆発して、せっかく引っ込んだ涙がぽたりとまた落ちる。

「つめてぇ」
「だって、」

「なんだ」
「すき…っ」

ああ、とまたリヴァイが優しくエレンの頭を撫でる。そうしたら、涙が止まらなくなった。
「でけぇ癖にとんだ泣き虫野郎だな」
「兵長のせいですよ!」
ぐすぐすと鼻を鳴らしながらリヴァイの華奢な背中にしがみつく。
返る体温は当たり前のように暖かくて、後ろの窓から差し込んだ月の光は、部屋ごとぼやけて形が判らなくなった。


「兵長、さっきの、もうひとつ答えありました」
「なんの話だ?」
「俺がなんだと思うって質問です」
それがどうした、とリヴァイが怪訝な顔をしてエレンを覗き込む。

確かに人類最強の兵士長で正解なのだけれど、それは皆が見てるリヴァイの姿なのだ。
「兵長は俺の、一番大事な人です」
「……」
エレンが鼻の頭を赤くして、濡れた瞳を真っ直ぐに持ち上げる。
「俺にとって兵長は、最強なんかじゃない、ただの人間で、大好きな恋人なんです…っ」
どちらかが我慢して成り立つ関係じゃダメなんだ。愛情に立場なんてものも必要ない。相手を想う、気持ちだけは対等になりたいと願う。

「ほう…遂にお前も俺に生意気な口を聞くようになったのか」
リヴァイが眉根に皺を刻み込んで、そんなエレンを見下ろした。
「いや!討伐能力に於いては人類最強ですけれども!生意気でしたごめんなさい…っ」
うわぁと叫んだエレンが逃走体制を作ろうと身体を捩ったが、リヴァイに顎を掴まれ軽く口付けられた。
その束縛の効果は絶大で、脱出は見事未遂に終わったのである。

「まぁ、それも悪くない」
「…へ?」
リヴァイはふん、と鼻で笑ったあとに少し笑みを浮かべると、エレンの耳元に唇を寄せた。

「お前に弱みを握られるのも有りだな」
言い終わって、舌がべろりと耳の淵を撫でる。
「ぅわわ…っ、そこはダメですって!」
エレンの身体から力が抜ける。これでは俺の方が弱みを握られてるようだ。
「腹を見せるのは服従のポーズだろうが」
「服従って、俺は一体どうなるんですか?」
知るか、と返事が返ってくる。

「へ、兵長はこれから俺にたくさん弱み握られるんですからね!」
エレンが悔し紛れにそう言う。
すると、全くお前はうるせぇな、と舌打ちが聞こえて来て

「黙って愛されてろ、クソ犬」
と抱き締められた。

俺にはもうお前しか居ねぇんだ。
震えた声で、勝手に死ぬんじゃねぇ、と彼が呟く。


これからも共に生きて、徐々に溶け合って、もしも死ぬならばその刃でまっさらに抉り取られたい。 
きっと彼はそれを叶えてくれる男だから。

エレンはリヴァイの腕の中で、兵長じゃないと俺は殺せませんよ、と笑い、さも自信有り気に答えてみせた。


そうして淡い光のなかで、ふたりは混ざり合う。



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