今日は色々と事件が起きた。始めにそう言っておく事にする。

次の日、朝一でデパートに向かった俺達は、挨拶用の菓子を、小さい箱に入った葉っぱの形のパイにした。
包装がシックなのに、ロゴのうさぎみたいなキャラクターが可愛くて、エレンがこれにしよう!と即決したからだ。
4つと自宅用を包んでもらい、昼飯を食べてから、手を繋いで帰る。

最近2人で出かけることもなかったので、デートみたいで楽しかった。
引っ越しだからと、連休にしたのはどうやら正解だったようだ。

俺達の部屋は、302号室。
最初に角部屋の、301号室のチャイムを鳴らしたけれど、応答が無かった。

留守かぁ?とエレンが言いながら、反対隣りの303号室を訪ねる。
とっても気の良さそうなおばちゃんが応対してくれて、昨日送られて来たのよ!とイチゴを1パック頂いた。
勢いに圧倒されたけど、どうやら仲良くやって行けそうだ。

上の階は若い女性、下の階は老夫婦が住んでいて、それぞれ滞りなく挨拶が終わる。

残るは左隣り、301号室のみだ。どうせなら早めに全部済ましてしまいたいと言うのは2人とも同意見なので、最後にもう一度だけチャイムを鳴らしてみる事にする。

ピンポーンと、電子音がなった。
「…さっきはコンビニに行ってただけ、とか都合の良い事は無かったか」
しんとした廊下でジャンが言う。

そうしたら急に、がちゃり、とインターホンが鳴った。はい、と出たのは低い男の声。
「あ、あの、昨日隣りに引っ越して来たものです!ご挨拶に伺いました」
すっかり留守かと油断していたので、慌てたエレンがそう答える。
いるじゃねーか!と驚いたジャンが、エレンに小声で耳打ちをした。

「ああ、ちょっと待ってね、」と、思ったより柔らかい物腰の声がインターホンから聞こえてきて、そこで音は一度、ぶつりと途切れた。
数秒後にはガチャガチャと鍵を開ける音がして、ゆっくりと扉が開く。

その隙間に見えたのは、エレンよりも低い位置からの鋭い視線。
先程の声のトーンから察する、柔らかい印象とは全く違う外見の人物が現れたと思った。

「はじめま…」
冷たい低音を響かせて、エレンの話をぴしゃりと遮ると、
「取り込み中だ、出直せクソガキ」
目の前の小柄な男は、間髪入れずにそう言い放った。

どうやら、301号室の方とは仲良くなれそうにもない。
ジャンとエレンがその威圧感に、同時に小さく悲鳴を上げた。驚いたのは、いきなり罵倒されたからだけではない。
玄関先に出てきた男の、格好がまさしくそれだったからだ。
明らかにサイズの合ってない大きめのワイシャツを素肌に羽織り、辛うじて前はボタンを留めているものの、首筋には無数の所有の痕。

汗で湿った黒髪に、色っぽく泣き腫らしたような目縁の青い瞳で、容赦なく2人にその冷たい視線を付き刺していた。
「──ああ、手土産なら貰ってやる…。だから邪魔はするんじゃねぇ、以上だ」
男は怯える2人を一瞥すると、ニヤリと笑い、エレンが恐る恐る差し出した紙袋を片手で受け取った。

「こら、リヴァイ、そんな格好で健全な少年を驚かすんじゃない」
男の後ろからまた声がして、今度は誰だと、お子さま2人は再度びくりと身体を跳ねさせる。
「あ?ちゃんと挨拶してやっただけだろうが、遅ぇぞ、エルヴィン」
ぱたぱたと忙しなく近づく音へ目を向けると、部屋の奥から現れたのは、背が高くて艶のあるブロンドの髪を持った壮年の男だった。
「…服くらい着なさい」
さっきの柔らかい声の主はこっちだったか。
男が呆れたように、けれど、甘やかすような音も含ませて、もう一人を諭す。

やっと話を聞いてくれそうな人が出てきて、2人は幾らか安心したが、この男もよく見れば前髪が少し乱れ下がり、急いで履いたようなボトムも、ボタンまで留まってはいなかった。

「もたもた着替えて、待たせたら悪いだろうが」
「また君はそうやって」
すまないね、と金髪の男が笑って言う。
その横で小柄な方が、不機嫌そうに鼻を鳴らした。

どうしてこの2人の組み合わせなのかは全然わからないが、少なくとも1人は話が通じるだろう。
「あの、俺たち──」
何事にもチャレンジャー精神の旺盛なエレンが、そんな予想だけで要件を切り出そうとする。まさかこの間に割って入るのかと、ジャンがぎょっとした。

「ああ、そうそう」
「昨日隣りに…、え?あ、はいっ!」
「引っ越しご苦労様、私はエルヴィン・スミス。そしてあれがリヴァイだ、ここに一緒に住んでいる」
エレンが言うより先に、エルヴィンと名乗った男が先に口を開いた。
玄関先でぼけっと突っ立ってた俺達の事を思い出して、こちらへ気を遣ったのか。

「は…、お、俺はエレン・イェーガーです!こっちがジャン・キルシュタイン。一緒に住んでます、昨日隣りの302に越して来ました!」
ずいぶんと遅くなったが、こちらも名乗る。
なかなかインパクトのある住人に戸惑いながらも、やっと挨拶らしいやり取りが出来たのを見届けて、ジャンはほっと胸をなで下ろす。

「昨日は搬入で騒がしくしてしまって、すみません。ご迷惑をおかけしたと思いますが、今後とも是非宜しくお願いします」
ジャンが言い、それに続いたエレンも、ぺこ、と頭を下げる。
言い終わってから2人はすぐに、それでは、と姿勢を正して隣人へ向き直った。

こういう時の俺達は、どんなコンビよりも息がぴったりだと思う。
長居すればするほどやばいだろうと、301号室から特に根拠の無い身の危険を感じ取ったせいだ。
「突然お邪魔してスミマセンでした!お口に合うか分かりませんが、それ、お菓子なので、食べてやって下さい」
既に奪われた紙袋を指して、ジャンが必死に用件を伝える。
「ありがとう、気を遣わせたみたいで申し訳ないね」
まともな笑顔をくれるエルヴィンには耐えられそうでも、後ろから放たれる冷たい視線には、今後しばらく慣れる事が出来ないだろう。

しかしそう身構える程、こちらは注目を浴びるものらしい。
リヴァイと呼ばれた男が、目に掛かった黒髪をかき上げて「まぁ、顔を出すだけまだマシだな」と鼻で笑った。
そんなリヴァイに、君の態度は誤解を招くから戻ってなさいとエルヴィンが言えば、彼は、ち、と舌打ちをしてだるそうにリビングへと向かう。
その後ろ姿を見送って、エルヴィンがやれやれと溜め息をついた。
「わざわざありがとう、どうも口の悪い猫を飼っていてね、あれでも悪気は無いので、良かったら仲良くしてやってくれ」
そうにっこり笑って言われると、ジャンも、エレンも、…はい、と言うしかないのである。

ここでのご近所付き合いは前途多難そうだ。
今しがた目に焼き付いた光景が、益々それを物語っている。


「なぁ、あれ、どうおもう?」
部屋に帰って、すぐさまエレンにその話題を持ちかけた。
「完全に、さいちゅう…だったよな、」
一目見たときの衝撃を思い出して、2人は再び一緒に硬直する。
「っあー、一回目鳴らした時に、出なかったのってそう言う事だったのか…」
「タイミング悪りぃな、俺達」
ジャケットを脱ぎ、ソファに腰を下ろすけれどなんだか落ち着かない。
押し掛けたこちらもその間の悪さには反省するが、あんなにまざまざと激しい情事の跡を見せ付けられれば、想像の一つや二つ、してしまうのは致し方ないだろう。

「やっぱあの、おっかねぇ方が下なのかな」
同じ立場のエレンが、信じられないと言う顔をして、頬を赤くする。
「あんなのと渡り合う、エルヴィンさん、って一体何者なんだよ…」
ジャンが、自分なら絶対口説く時点で心が折れていると思ったが、良く知りもしない事は言わないで胸に仕舞っておいた。
俺の心は折れるかも知れないけれど、あの人の心は必死だったのかも知れないと思ったからだ。

エレンに関してだけ言うなら、たとえ拒否られたとしても、諦め切れないジャンは必死に追いかけていただろうし、冷たくされたとしたって、めげなかった自信がある。
幸い、俺達は順調にステップを踏んだので、そんな過酷な事は無かったけれど。
あの時はそれほど夢中だったのを、覚えている。

誰かが誰かを好きになるっていうのは、理屈じゃないと知っていた。
きっとあの2人にも、俺達にはわからない絆があるのだ。
そもそも隣人じゃなければ、一生知り合う事の無かったタイプなのは、間違い無いけれど。

ジャンがそう悶々と昔を思い出している途中で、ねぇ、と名前を呼ばれた。
隣りに座るエレンが、ジャンの袖口をきゅっと掴んだので、どした?と答える。
引っ張られた方へ視線を向けると、頬を赤く染めて、太腿をもじもじとさせているエレンが視界に入った。

「なぁジャン、おれも、あのくらい…」
ちょーラブラブなエッチ、したい。
エレンが上目遣いで恥ずかしそうに、そう呟く。

そういえばお前と初めてキスした時も、今とおんなじような気持ちになったんだぜ。
そんな事は絶対に教えてやらないから、お前はこれっぽっちも知らないんだろうけど。

「──っとに、お前はマジで、」
ばかなんだろ!と、ジャンがエレンを急いで抱きかかえた。
「ッえ!?」
頼まれなくても、お姫さま抱っこだ。
おねだり上手な姫のお望み通り、このまま寝室へ直行してやろうじゃないか。

初めてのキスから三年経った今、自分でも笑えるくらいに恋してた。
これで落ちない方がどうかしてる。



「おい、本当におっぱじめやがったぞ」
「…リヴァイ、壁に耳を当てるのは止めなさい」
その頃のお隣りでは、良い年の大人達が新しく見つけた、“遊び”に夢中になっている所だった。

「てめぇがお仲間かも、とか言い出したんだろうが」
「いや、あんまりにも綺麗どころがセットだったんでね」
予想が大当たりで、嬉しそうにエルヴィンが笑う。

あれからエレン達が置いていった紙袋を見て、エルヴィンが紅茶を淹れてくれた。
さくさくとパイを食べながら、面白いのが引っ越してきやがったな、とリヴァイが言う。

ぜひ、仲良くしたいね、と顔を寄せてエルヴィンが囁くと、リヴァイの口元についたパイの欠片を舐めとった。

「ん、案外あのガキども、センスあるんじゃねぇか、これ」
「本当、美味しい、」
「…お前、食ってねぇだろ」
「今、舐めたよ」
眉間に皺を寄せたリヴァイが、無言でエルヴィンの口元に食べかけのパイを運ぶ。
彼は、ありがとう、と言ってそれを一口食べた。

「…饅頭でも買ってきそうな、面してんのに」
「はは、それ、面白いよ」
エルヴィンが、自分の唇に僅かに残った砂糖の粒をぺろりと舐める。

「で、どーなんだ?」
リヴァイがその味を問いかけた。
「…パイも美味しいけど、わたしにはお前とのキスの方が、甘く感じるよ」
「ああ…あんたも、とうとう馬鹿になったのか」

それからの2人はどちらからともなく顔を寄せ合うと、バターの味を確かめるようにして舌を絡ませ、深い、深い、キスを始めたのだ。

301号室の住人も、302号室の住人も、
いま合わせている唇が、一体何度目の口づけなのか、そんな事はとうに忘れてしまっている。


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