好きなひとの事だけがよくわからない。それはよくある恋愛の悩み。
レディが相手ならばこんな事でこのおれが頭を抱える事なんて無かったのに。

今日の偉大なる航路は、比較的気候が穏やかだった。凪いだ海面が穏やかにサニー号を運んでいく。
「すっげーなーー!!ウソップー!」
うほーーー!!と、この船の発明家である彼の技術を目の当たりにして、全力ではしゃいでいるであろう船長や船医の笑い声が良く聞こえてくる。
そんな騒がしい笑い声が、いまのサニー号のBGMだった。
数秒後には麗しの航海士さま怒りの鉄拳をくらう羽目になるのに懲りないお子様たち。

陽に当たって穏やかに煌めく波間を、自分の片目に落ちたブロンドの髪に透かしてみれば一層眩しい。
1日一度以上は必ず訪れる、戦争のようなおやつの時間を終えた後は、こうして煙草を吸いながら少しぼんやりしたくなってしまうものだ。
この船で唯一、クルー全員の食の責任を預かるコックとしては、そんないわゆる「おやつ戦争」も嫌いじゃない。自分の食事が美味い美味いと求められるのは素直に嬉しいから。

そんな事を取り止めも無く考えながら、海面を見つめるも、一向にサンジの中からあの剣士の残像が消えてくれることは無い。

「くそ。マリモめ」
先程から1人甲板に出て、そうしていたサンジは煙草のフィルターを摘まむと、細く長く、肺からゆっくりと煙を吐き出した。
ため息にのった紫煙はゆらゆらと潮風に消えていく。

何を今更悩んでいるのだ。あの男と望んで関係を持ち始めたのは自分なのだ。
少し前までのサンジはもっと落ち着いていたと思う。いや、余裕があったと言った方が正しいだろうか。
いつだって、まだあどけない少女から凛とした御婦人まで、レディに対するサンジの立ち居振る舞いは完璧だった。今とて別にそれが困難になった訳ではない。
麗しの航海士や美しい考古学者には相も変わらず、心からのエスコートが出来る。

そこが問題なのでは無い。レディを喜ばせることよりも先に、ナミやロビンの、話し掛ける声よりも先に、視界に入れたい、甘やかしたい存在があの男、ゾロだと言うのが問題なのだ。
レディファーストを掲げる騎士としてのポリシーが揺らぎつつある。それだけでもサンジには大ごとなのに、問題は他にもあった。

サンジが幾ら目で追おうとも、幾ら甘やかしても、あの男は素っ気なく受け入れるだけ。
まぁ、ゾロが受け入れてくれること事自体が奇跡に近いので、この際文句は言ってられないが。

ゾロの方からも、甘い愛情の一つくらいは返してくれたら良いのに。そうしたらおれはもっと頑張れるのに、といつもサンジは思う。
ハァ。二度目に発した溜め息は、サンジの口から微かな音になって漏れた。

見て想像していたより柔らかな緑色の髪の毛や、自分を真っ直ぐ射抜くあの眼差し。
不意に目蓋に現れた顔に、サンジの方が驚いて、頬が熱を持つ。
そうやって一瞬で、水面を見つめていた筈のサンジの頭の中を、ゾロが支配していく。

「重症だな、コリャ」
今更、思春期のガキみたいに恋をしているらしい。自称ラブコックが、このざまだった。
サンジが己の初心さ加減に半ば自嘲気味に笑ってみた後で、キッチンから持参した灰皿にすっかり短くなった煙草を潰した時だ。

「なにが重症なんだ」
背中の方から、ごつ、ごつと聞き慣れた靴音を鳴らして、サンジの好きな低く掠れた声を使う男が近づいてきた。
そんなに興味も無い顔をしながら、触れて欲しくないタイミングで聞いてくる。

最悪だ。サンジは内心で舌打ちをしてから、この甲板がゾロの昼寝スポットだった事を思い出すと、やはり最悪だと思った。
昼寝に来たゾロが悪いのではない。こんな余裕の無い顔を、そうさせている本人に見られるのも最悪だが、いずれ鉢合わせることをわかっていたのに、無意識なのか、ぼんやりする場所にここを選んでしまった自分も最悪だった。
やがて適度な所で靴音は止み、そういう関係になる前から今も変わらない距離でゾロは後頭部に視線を送ってくる。
そんな距離にいないでくれ。もっとゾロの方からおれに近づいてくれたら良いのに。
今のままじゃ全然足りない。

一言でも何か発するのを、後ろでゾロがじっと待っているのが気配でわかる。
そのままサンジは振り返らず、胸ポケットから新しい煙草を一本取り出した。なんでもねェよ、と呟きながら火を付ける。

「…なるほど、確かに重症だな。お前の頭は」
「あァ?」
いつも通りの軽口にまんまと引っかかって、思わず振り返ってしまった。
そんな小憎らしい剣士の事ばかりを考えていて、思い詰めてる顔を見られたくなかったのに、いとも簡単にその決意を欠いてしまうサンジは、あまり気長な方では無いのだ。

なんだとクソ剣士、と眉根に皺を寄せつつ後ろを見るが、視界に入った姿はサンジの想像とは違っていた。
しっかりとこちらに背を向けて、昼寝用に甲板の日陰を探すゾロが映る。

彼は丁度良さげな温度を見つけると、もう眠いと言わんばかりに壁にもたれ掛かり、そこへどっかと座り込んだ。三本の真剣は大事そうに隣へ揃えて置く。
それから、くあぁと大きな欠伸を一つして、腕を組んだ。まるでさっきの会話など無かったかのようにこちらを気にしていない。
あろうことかゾロは、サンジの方に一度も視線を向けることもなく、その長い睫毛を伏せたのだった。

おいおい。お前とおれは好きあってるんじゃなかったのか?
程なくしてサンジの元へ愛しい彼の寝息が聞こえてくる。

そうかい、お前のおれに対する興味はそんなモンかよ。サンジはがっくりして肩を落とした。
呆然とゾロが眠りに落ちるまでを見届けてしまい、新しい煙草は咥えただけでちっとも吸えていない。もう、半分は燃え尽きてしまっていた。

おれがこんなに悩んでいるのも、悔しい気持ちになるのも、そうやっておれの存在を、お前の世界に捉えてくれないからだ。

やっぱり苛々する。好きなのに、腹が立つ。
サンジは今度こそ、ふん、と不機嫌に鼻を鳴らすと、灰皿に本日2度目の恨みを潰し、自分のテリトリーの一つであるキッチンへと足を向けた。


サンジはこれまでに、何度かあの男を抱いた。
一方的にのしかかったのではない。お互いに、ちゃんと愛情を感じたからそうなった。少なくともサンジはゾロの事がたまらなく愛しい。
快感に負けじと逸らさない、潤んだ強い瞳や、熱を帯びた逞しい肌。自分の名を切なく呼ぶ掠れた低い声も。そんな彼の、それらを少しも忘れられない程に。

だけどゾロは、そんなサンジとは対照的にその距離を変えては来ない。サンジが自分から擦り寄って行かなくては、ゾロから近づいて来るような事は無かった。
さっきのように、彼の中では一定の距離があるらしい。

何だか独りよがりに思えて、酷く怖くなる。
勿論、好かれてると感じれる事だってあるのだから、全部が嘘だとか、嫌々付き合わされてるというようにも思えなくて、ゾロが本当は自分をどう想っているのか、更に解らないでいた。
言葉を感じたい。もっともっと愛情を感じたい。少しくらい安心したいと願うのは、最初に好きを押し付けたおれにとって、欲張りすぎなのだろうか。

そんな風に悩んでたって時間は過ぎていくので、サンジはキッチンに向かうとすぐに夕食の仕込みを始めることにした。料理をして、先程の苛立った気持ちを紛らわす。
外では相変わらず船長たちがはしゃいでいる。
その声を聞きながら、悪ガキ共の顔を1人ずつ思い浮かべて、これからまたすぐに始まるであろう「戦争」を思えばサンジの口許が少し綻ぶようだった。

前の島で調達した、まだ新鮮な野菜でサラダを作る。瑞々しい緑色の葉が、誰かを思い出させて胸がきゅうっとなった。
サンジはそれを振り払うようにして手を動かす。
途中、ルフィ用に多めに肉を用意し、最後にレディに用意した繊細な1品を飾ると、すぐに皆を呼んだ。


「あーー!ルフィおれの肉盗ったろ!」
「ひ…、ひらふぁい…うっ」
「出せコラ!」
案の定夕食時にも、肉の取り合いに発展した2人と1匹は、静かな夕食を過ごしたいナミや、マナーにうるさいサンジに怒鳴られていた。
「だまーって食えよお前ェら!」
「海に放り投げるわよっ」
それをみたロビンやフランキーは楽しそうに笑っている。ブルックに至っては、もう無い眼からヨホホと涙を流しているらしい。

「心配しなくても、コックさんがたくさん作ってくれてるわ」
はい、チョッパーちゃんにあげる、と今にも泣きそうなチョッパーに向かってロビンがにっこりと微笑むと、そこでようやく反省したお子様たちにナミの鉄拳が飛んだ。
それを最後にして、乱闘が収まる。

やっぱり大人の女性は魅力的だ。サンジはそう思うと、二人のレディにその場を任せて追加の料理を取りに行くことにした。
そんないつも通りの風景の中で、サンジはキッチンに向かおうと立ち上がり、肝心のゾロの方をちらりと盗み見る。
ゾロは、そんなルフィ達の様子をぼんやり眺めながら、反対にただ黙々と咀嚼を繰り返してるだけで、いつもどおりの仏頂面だった。

同じ空間にいるのに遠く感じる、と言うのはこの状態を指すのだろうか。
今日はお前の好きな味付けの魚も用意したんだぜ。とサンジは思いながら時々ゾロの様子を伺うが、ゾロがその魚を口にしても、2人の目が合うことは無いままだった。


皆が食べ終わった食器を片付けるのも、キッチンを預かるコックの仕事である。
ナミやロビンが手伝うわと食器を運んでくれるのを笑顔で受け取って、ありがとう、ゆっくり休んでて、とサンジはお礼を言った。

ルフィやウソップは先程ナミに怒鳴られたことも忘れて、飯の後は風呂だ!と大浴場の方へ騒がしく出て行く。
それに続いて残りの皆も、研究やら発明やら読書やら、銘々がキッチンを後にし始めた。

そんな皆の後ろ姿を一人ずつ見送って、一向にそこから動かない男がいる。
この状況はサンジにとって幸か不幸か。
キッチンに最後まで残る1人があの、ゾロだと誰が予想しただろう。

もの凄く、意外すぎる。いつもなら真っ先に立ち去ってもおかしくない男だ。
ゾロが何か理由があってここに留まったのは解る。だけど、それを自分から確認するような真似はしたくなくて、サンジも黙った。

無言で食器を洗う背中に、容赦なく突き刺さる視線。そんな刺々しい空気にそろそろサンジが耐えられそうに無くなってきた頃、後ろでガタン、と椅子から立ち上がる音が聞こえてきた。
続けざまに床を打つ硬い靴音がキッチンに響く。
ゾロは、一切躊躇することなくサンジの真横へとやってきて、そこでぴたりと足を止めた。

あまりに突然の行動で、サンジは思わず濯いでたグラスを手のひらから滑り落とした。寸でのところで持ち直すことに成功して、胸をなで下ろす。
動揺したのは、ゾロが自らサンジに近づいてくるなんて、初めてのことだったからだ。

「おう。ど、どうした?」
ぎこちなく理由を尋ねると、よこせ。とゾロは右手をサンジに差し出す。左手には布巾。
「…え、なに?手伝ってくれんの?」
「わりぃか」
眉間の皺はわずかに増えたけれど、目を逸らすゾロの頬が、ほんのり朱を刷いたのをサンジが見逃す訳がなかった。
「いや、嬉しい」
全く現金なもので、さっきまで1人悶々として苛ついていたのに、そんな一言でなんだか堪らない気持ちになってゆく。

ん、と濯いだグラスを左手で渡せば、ゾロがおう、と右手で受け取って、水滴を拭き取っていく。大雑把な仕事をしそうな指先は、意外と器用な事に気が付いた。
ゾロが隣にいる、と言う感覚は、何だか気まずいような、くすぐったいような、自分の左半身がじんわりと暖まっていく気がする、そんな感じ。

大量にあった食器も、もう終わり、と言うところでゾロがようやく口を開いた。
「なんか、怒ってんのか」
その質問には、なるべく平静を装って答える。
「…怒ってねェよ」
お前はまるきりおれの事無視してたじゃねェか。なんでそう言う所だけ図星をついてくるんだ。
サンジが最後の大皿を濯ぐ。静かなキッチンに、水の流れる音だけがする。
「嘘吐くんじゃねェ。ずっと1人にして欲しそうな顔してやがる」

え?誰が?おれが1人にして欲しそうだって?と言って、サンジは濯いだ皿を差し出した。
何だかしらんが、放っといてやりゃあ、益々シケたツラしてんじゃねェか。と、ゾロは受け取ったその皿を拭く。

何だか納得がいかない。おれはずっとお前の近くに居たかったのに。というか、ゾロの優しさは敢えて放っておく、という所にあったらしい。
それならもう少し優しい言葉のひとつでもかけてくれると違ったかもしれないと思ったが、サンジに優しく声をかけるようなゾロ、なんてものは全く想像出来ないので、それを提案するのは止めた。
ああ。わかりにくすぎて目眩がする。
サンジが百面相をしている間に、最後の大皿をとっくに拭き終わったゾロは、次はなにをすればいい?と言う目でサンジをじっと見つめていた。

そんなゾロにサンジはぽつりと、お前が1人でも平気そうだから、と答えてみる。
「……」
ゾロは見つめる目を少し見開いて、それから黙った。
「待ってるのはおれだけだろ」
サンジが煙草を吸おうとして灰皿をシンクに用意する。コトリ、とガラス製の灰皿を置いた音がして、シャツの胸ポケットから一本煙草を取り出した。
火をつけようと、サンジがそこに置いてあったライターを取った時だ。ゾロの右手が、サンジの左手首を掴んだ。
左手に持った筈のライターがカシャと地面に落ちて、少し床を滑っていく。今度はサンジのほうが驚いて、目を見開いた。

「…おい、危ねェだろ、ゾロ」
「おれが平気かどうか、勝手に決めるんじゃねェ」
ゾロが、不機嫌な時の顔をしている。最近解るようになった。
「あぁ?なんだよ急に」
「テメェの目ん玉は節穴か」

そしてそのままゾロは続けざまに、テメェがそうやっていつまでも拗ねてっから、わざわざおれが出向いてやったんだろ、と言った。
向かいあったまま沈黙が流れる。
しまった、という顔をしたゾロが舌打ちと共に目を逸らした。頬から順番に、耳までが赤く染まっていく。
あれ?何故。思いがけないゾロの態度に、サンジは真っ白になった頭の中をもう一度、整理する。
あれ、それって、もしかして。

「まさか、構ってもらえなくて寂しかったから、お手伝い?」
「…黙れ、このままへし折るぞ」
絶対にゾロが言わない言葉を代弁してやれば、サンジの腕を掴んだままのゾロの指にギリギリと力がこもる。
ふは、と顔が自然に綻び、底辺から一気に持ち上げられたような気持ちになった。
きつく掴まれた手首に、痛みなど感じない。むしろ、可愛い反抗くらいに思えて、サンジはその特徴的な眉毛を更に下げた。

いつもは無愛想過ぎて全く腹の読めないこの男は、どうしてこんなにも分かりやすく照れるのか。これを知ってるのは、おれだけなんじゃないかと思った。恋人であるサンジの特権だとも思った。案外思い上がりなんかじゃ、なかったんだろうか。

しばらくゾロを試すようにしてて、自分から近づく事を我慢してたサンジは、恋人のそんな姿を見てしまっては、もう堪らなくなった。
彼に掴まれた左手首ごと、その身体を引き寄せる。
驚いたゾロの身体が一瞬強張るが、首筋に鼻先を付けて、いっそう強く抱きしめるとすぐにそれは和らいでいった。息を吸い込むと、ゾロの濃い匂いがする。

観念したように、掴まれた左手首の拘束がするりと解けたので、すぐに左手も腰に回してこちらへと寄せた。
もっと密着出来て、より近くに、全身に、ゾロの体温を感じられるようになる。
いつもはやめろだとか、クソコックだとか言って噛みついてくる癖に、今日は抱きしめてもお互い一言も発さなかった。今のサンジには、その優しさが嬉しい。

ゾロは小さく溜め息を漏らす。煙草臭い、けれど嗅ぎ慣れたサンジの匂いの中に収まりながら、じっと黙って抱きしめられるままになっていた。
サンジが必死に自分を抱きしめるから、なるべくそれに答えようとしてくれてるのだろうか。
自然と力が入ってしまうけれど、幾ら強く抱きしめようとも絶対の折れる心配のなさそうな、この男らしい身体が愛おしくて、良い。

ゾロの空いた右手の指が、サンジの金髪を梳き始める。ふわふわと持て余して、時々ぽんぽん、と慰めるようにそれを撫でた。
そういうところも好きだった。 
「ぞろ」
ようやく甘えたような声で名前を呼べば、どうした、とゾロが答える。
サンジは抱きしめる力を弱めて、向かいあって真っ直ぐ瞳を見つめた。それからお互い吸い寄せられるように口づけ合う。
どちらのかはわからない、ん、と鼻にかかった息が漏れた。
瞳は開いたまま、お互いを見つめたままで、舌を絡め深く口づけた。目が逸らせない。目を閉じるのが惜しい。

「…おい」
は、と口の端から呼吸を逃がす。ちゅ、と音がして、サンジがなに?と視線で訴える。
誰かくるぞ、まだ全員起きてる。とゾロが切れ切れに言う。サンジが唇を離さないからだ。
仕方ない、という顔をしたサンジは、最後に下唇をぺろりと一舐めしてから、惜しそうに離れていった。
「足りない」
サンジが、ゾロに額をくっつけて、キスしてる時とそう変わらない距離から文句を言っている。
「しつけェぞ、エロコック」
「そう言うのは、きらい?」
サンジにうなだれた様子で問われれば、ゾロは弱い。
てめぇのしつこさは、きらいじゃない。と聞こえた。言ってから、そっぽを向く。
可愛い。もう一押し。

「ゾロ、おれのことすき?」
言わせようとしてるのがバレバレだったけど、ゾロは素直に耳まで真っ赤にして固まっている。
う、とか あ、とか変な声を出してから、勢いよくサンジのこめかみ当たりを両手で塞いだ。
ばちん!と音が鳴って、ぎゃっ、とサンジが小さく声をあげる。
耳を塞いでいるつもりなのだ。だけど、静かなキッチンで耳に手をかざした所で、聞こえない音量など余りない。サンジの後頭部を掴んでる両の指先に力が入っている。
それをわかってての、気休め。蚊の鳴くような声で、むしろ、神経を研ぎ澄ましてるサンジにしか到底聞こえないくらいの音量で、すきだ、とゾロは呟いた。
顔はしっかり見えないようにサンジの鎖骨あたりに頭を押し付けている。けど、覗いた耳や首が、どうしようもないくらい朱に染まっていて、サンジは今すぐにでも押し倒したい気持ちになった。

「聞こえなかったぜ、ゆでまりもちゃん」
そうからかうと、すぐに横っ面を拳が飛んできた。やはりこの男は恋人だろうと容赦がない。

「お前から隣りに来てくれるのを待つよ、おれは」
衝撃でひりつく頬を擦りながら、サンジが言う。
一生待ってろ、アホエロまゆげ!と吐き捨てて、ゾロはキッチンの入口へ逃げるように背を向けた。それからドアノブに手をかけた所で立ち止まる。

…上で待っててやるから、ちゃんとメシ用意してこいよ。とぶっきらぼうに言い、ふん、と鼻を鳴らす音がしてドアが閉まる。
一瞬考えたのち、サンジの緩んだ顔が更にだらしない有り様になっていった。

これから向かう先は展望室。今夜の不寝番はゾロだった。つまりお姫様のご注文としては、夜みんなが寝静まったころに、展望室で待つ。夜食付きで。との事なのだ。
誰もいないキッチンで、自然と顔がにやける。

拭いて貰ったお皿を食器棚に片付けながら、さっきの出来事を思い出す。
ゾロもサンジを待っていると、言ってくれた。
ちゃんと心配してくれていて、歩みよってくれて、すき、とまで言ってくれた。
そんなこと一生にもう一度あるだろうか。いや、あると嬉しいけれど、もう充分だ。

これからゾロの好きな握り飯でも作って、目一杯甘やかして、愛してやろう。
吸い損ねた煙草を咥えて、床に落ちたライターを拾う。かち、と火を付けた。
吐き出す煙と共に、覚悟しとけよ、と呟く。
それから、アイツの一言で浮いたり沈んだりする自分が可笑しくて、サンジは誰もいないキッチンでひとり、苦笑した。

少し痛む頬でさえ愛おしく感じるなんて、やっぱりおれは重症なんだろう。と、ゆらぐ紫煙を見つめながら、サンジはそれすらも幸せに思った。


恋するコックの愛情たっぷり特製握り飯を食べながら、そーいや今日の魚、うまかったぞ。とゾロが満足そうに言って、
だろ?と、またサンジを笑顔にさせる。


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